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ひとりぼっちのプリウス

 

その他
2001.01.27 「ひとりぼっちのプリウス」
無線交信が途絶えてからしばらくの間、プリウスに乗った横田隊長と寺田隊員との間に会話はなかった。そして寺田隊員が「大丈夫ですかね。」と小声で言うと「モーリタニア入国で、またしばらく俺らも足止めを喰うから、そのとき追いついてくるんじゃないかな。谷さんも乗ってるから、言葉の障害もないし大丈夫だろう。」と横田隊長が言った。しかし二人には、不安こそあったものの、ひとつだけ安心することがあった。それはアランのカミオンと一緒にいることだ。プリウスには、砂にスタックしたときに使うスコップもサンドラダーもなかった。だから、もしスタックするようなことがあれば、自力で脱出することはほぼ不可能だったのだ。

地図上でみる国境を越え、ついにモーリタニアへ入国した。さらに数km進むと、入国管理局がある。ここから先はまた入国関連の手続きで、いろいろと手間も時間もかかることが予想される。そしてプリウスのウインドウ越しに、信じられない光景が見えた。アランのカミオンが止まったのである。この瞬間アランが昨日言っていた言葉を思い出した。「もし、モーリタニアへ入ってすぐガイドが雇えたら、時間がないので入国手続きをすべてパスしてアタールへ向かう。」ついにその言葉が目の前で現実のものとなったのだ。プリウスでアランに近づいていくと、アランはさっと手を挙げ“君達の勇敢な挑戦が成功することを祈る”と、軽く敬礼してみせた。こちらも条件反射で手を挙げた。そしてプリウスは大きなカミオンの横をゆっくりと走り、ところどころ穴の空いた石畳の道を、たった1台で走りはじめた。頼れるものがなにもなくなった瞬間であった。

入国管理局へ到着すると、そこには石が積み上げられた壁で囲われた、管理局というには程遠い建物があった。私たちより先に、バイクが1台、プジョーのワゴンが1台到着しており、パスポートに入国印を押してもらうべく、列を作りはじめていた。私たちもその列に並び、パスポートを提出する。ここではすぐスタンプがもらえ、後続のランドクルーザーを待つ時間はあまりなかった。つぎにまた数km進み、カルネ申請とドライバー申請を行う。ここでは1時間以上時間がかかったが、相変わらずランドクルーザーの来る気配はない。来るのは昨日キャンプ地で見たほかの4輪駆動車ばかりだった。

ここで横田隊長と寺田隊員には、決めなければならないことができた。このままプリウス1台で進むか、それともランドクルーザーが来るのを待つか。もう頼りのカミオンはいない。1台で進む場合のリスクは、たとえどんな路面でも、1台と二人の力でヌアディブまでつかなかればならないということ。待つ場合のリスクは、もたもたしていると軍隊に怪しまれ、厳重な検査、または拘束されること。最悪はモロッコまで戻される危険性さえある。ミイラとりがミイラになってしまうのだ。そして出た答えは、プリウス1台で国境からヌアディブまで走破することだった。はっきりいって勝算はあった。横田隊長はアフリカの隅々を新聞、雑誌、テレビで日本に紹介した第一人者的存在で、アフリカでのサバイバルノウハウは、どの日本人より持っている。

一方寺田隊員も、通算3ヶ月に渡るサハラ砂漠でのNGO活動や、最近過去2回のパリダカ参戦で、少しはサハラのことが体でわかるようになっていたからだ。そしてなにより今まで来た道を見る限り、これからヌアディブまでの道が、それほどプリウスにとって困難なものとは思えなかった。

モーリタニアへ入国するすべての手続きを終え、プリウスは走り始めた。一つ目の丘を越えて二人は安心した。石畳の道が次の丘まではっきりとつながっていたのだ。多少大きな穴は開いているものの、注意深くよけて走れば問題ないレベルだ。しかし地元のクルマは、この壊れた石畳の道を通らず、それに沿って柔らかい砂の上を走る。クルマのサスペンションを傷めないためだ。ただこの走りにもリスクがあり、先を走っていた地元のメルセデスやルノーが、砂にはまって身動きとれなくなっている姿を見た。そこでプリウスは、石畳を外さず、先を急いだ。二つ目の丘を越えると事態は急変する。ところどころに砂丘が見え始めたのだ。そしてその砂丘が、プリウスの進んでいた石畳の道を、すっぽり飲み込んでいる。突然行き場を失ったプリウス。

そこですぐ思い出した。今来た道の500mくらい手前に、このルートをさけるかのように残されていたタイヤの轍を。プリウスはその地点まで戻り、ここからオフピスト、つまり道でないルートを走り始めたのだ。しかしこの轍に沿って走っても、すぐ砂丘が現れる。ひとつめの砂丘を一気に登り、頂上付近で止まった。そして遠くにあるケルンを見ながら、どこへ進めばいいのか予想を立てる。そこで寺田隊員が、「少し歩いて路面を見てきますよ。」と横田隊長に言ってとぼとぼと丘を下り始めた。丘の上で遠くを見つめる横田隊長に、ある悪寒がはしった。それは地雷のことだ。少なからずとも、今自分たちのいるオフピストに地雷がないという確証はない。むしろあるかもしれないという可能性がこの地にはあった。そこで寺田隊員を早く戻らせるよう、手招きをする。寺田隊員も、万一のことを考え、タイヤの轍の上しか歩いていなかった。

確かにこのままオフピストを走ることもできた。しかし万一、スタックしてしまえば、サハラの入り口にプリウスと二人は置き去りになってしまう。そこでやはりメインルートへ戻り、あの砂丘を越えて進むことを決めた。さっきの砂丘地点まで戻るとすでに先客がいた。ちょうど砂丘の中間地点で埋まっている4輪駆動車だ。そしてすぐもう一台、日産の4輪駆動車がたどり着き、一気に砂丘を越えようと試みる。しかしやはり中間でスタックした。この程度の砂丘であれば、ACPスタッフなら誰でも越えられる程度のものだ。しかしこれはあくまで4輪駆動車での話。プリウスは、4輪駆動車に手伝ってもらうことも、自走する確信もないままその場に立ち止まっていた。そこへ手前で埋まって動けなくなっていた地元のメルセデスが到着し、2台の4輪駆動車が埋まっているルートよりかなり下のルートをトコトコと走り始めた。これが見事に向こう岸の固い路面まで到達したのだ。すかさず横田隊長がそのルート上まで走り「テラちゃん、このルートで来い!」という。寺田隊員も、すぐに助走をつけ、一気に砂丘を越える。無事砂丘を越えることができた。ここで久しぶりに2人に笑顔が戻り、また石畳の道を追って走り始め。そこからは小さな砂丘はあったものの、先ほどと比べればたいしたことはなく、この日コンボイで出発した誰よりも早くヌアディブに到着した。

街の入り口では、現地の案内人が数名立っており、このなかのひとりに案内されながら街に入ると、彼の経営するオーベルジュ(ちょうどキャンプ場と旅館を足して2で割ったような施設)まで連れられた。別に彼を雇っていたわけではない。しかしある程度現地の人間でも、的確な情報をくれる人も多く、彼もそのひとりだったので、しばらく話を聞いた。そして横田隊長がひらめき「この人はまた街の入り口に立つわけだから、こいつに手紙を書いて持たせ、日本人4人の乗った赤いランドクルーザーを迎えてもらって、俺らのところに連れてきてもらえばいいんだ。」といった。名案であった。案内人の彼がいなくなってから、2人は近くの砂丘へ歩いていった。今日は横田隊長の記念すべき誕生日。還暦祝いをホームペ−ジにアップするために、写真が必要であった。あのホームページにアップされていた写真は、こうやって2人っきりで撮影したものだったのだ。

日が暮れてもランドクルーザーが、ヌアディブに入ったという情報は入ってこなかった。横田隊長と寺田隊員は、2人でこの街に1軒だけある中華料理店に行って、夕食を食べた。「そういえば松ちゃんが、中華屋があるから、そこで俺の誕生祝いをしようといっていたな。ここのオーナーにも、俺らが日本人4人を待っていると言っておこう。」日本では信じられないだろうが、この日、私たちがこの街にいること、ハイブリッドカーがこの街に初めて来たということ、そしてこれから来る日本人4人と赤いランドクルーザーを待っているという情報が、この街広く噂話となった。

二人はお互いホテルの部屋の窓を開け、ランドクルーザーの走ってくる音を期待しな がら眠りについた。
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