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2001@サハラ

 

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2001.01.31 「 横田隊長の日記より」


陸の孤島ヌアディブから首都ヌアクショットまでは、走行というにはむしろ語弊がある。航行といったほうが妥当だ。なぜならそこには道路も、標識も存在しない。あるのは、砂、風、そして燦燦と照りつける太陽。この「褐色の無」のサハラに出航する前に、スタッフは食料、飲料水を買い足し、燃料を満タンにした。そして新たに一人、仲間が加わった。ガイドのアブドーニだ。

横田隊長は真剣であった。サハラ砂漠ではガイドがすべて。そのことは隊長自身、世界中を旅して思っていたことだった。ドライバーは目の前にある現実に瞬時に対処する能力が問われるが、ナビは未来を想像しながら、絶えず一歩先を読む能力が問われる。だから今まで自分がナビをやってきた。そして一番重要なことは、二人の信頼感。実行力と想像力が信頼で結ばれなかったら、自然に挑戦はできない。だから横田隊長は、11日、寺田隊員をホテルに寝かせておいて、ひとり朝早くから街に出て、1日中ガイドを探した。

信頼できる相棒を探しに。

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(横田隊長の日記より)

大西洋に角のように突き出た半島の先端にある、モーリタニア第2の都市ヌアディブは3方を海に囲まれ、陸路にはサハラ砂漠が広がる「陸の孤島」である。単独でこの街にたどり着いたプリウスはひとまず街に1軒だけあるHOTEL NAKHILで荷をといた。

早々にインマルサット衛星通信を開始した寺田君をホテルに残して、私は街に出た。国境で離ればなれになってしまったランクル組に、日本人が無事にヌアディブに到着していることを知らせる必要があったからだ。オーベルジュと呼ばれる「キャンプ風民宿」を3軒回り、外国人宿泊者に「日本人が来たらホテルにいる」と触れ回った。お金の両替所、ガソリンスタンド、雑貨屋とジャポネ、ジャポネと連発してから砂漠の案内人探しに移った。何しろ歩きだから喉が乾く、ひょいと飛び込んだ「立ち飲み」スタンドで声を掛けられた。

「ヌアクショットに行くのか」
「そうです、だけど4輪駆動車じゃないんだ」
「乗用車か!ン・・そいつは難しいぞ」

ターバンを巻いた細身の男は、暫く考えて「ABBAへ行ってみな」と、民宿を教えてくれた。

ABBAは街のメインストリートにあり、コンクリートの壁に囲まれた以外に大きなキャンプと小部屋を5室備えたオーベルジュで、20人ほどの外国人がサハラ縦断の為に準備をしていた。ずかずかと中に入って行くと目の鋭いトゥアレグ族の男が「何しに来た」と寄ってくる。「ヌアクショットまでの道案内人を探しています」と、私はクルマがプリウスであること、仲間を待っていることなどをフランス語、英語をチャンポンにして説明した。果たして通じたものか、疑問に思っていたら、男は私にイスをすすめ、ゆっくりと時間を駆けてアラブ茶を入れてくれた。

モンシェル・アハメド・アブドーニと長い名前のモーリタニア人(54才)、深い皺を持つ顔に鋭い眼光が光るアブドーニには、船舶のメカニックとして世界中の船に乗ったらしい、「日本の船にも乗ったよ、刺身、マグロ、おはよう、ありがとう」どうやら日本人には好意を持っているようだ。船を下りた彼は現在、サハラの案内人をしている。家族は砂漠でラクダの放牧している本物の遊牧民だ。偶然に会った男が探していた案内人とは「運」がついてきたようだ。

案内人は、トラック、4輪駆動車、そして2駆の乗用車と砂漠で異なるルートを案内する、アブドーニは乗用車と聞いて、ちょっと眉を曇らせたが「2日分の食糧を用意しなさい」と引き受けてくれた。私は「仲間が到着次第に出発」と、アブドーニにプリウスの運命を託す事にした。

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横田隊長には自信があった。1日かけて探し当てた信頼できるガイドが、スタッフに加わった。もうこれ以上のことはない。だからあとは精一杯やるだけだった。そして、

「テラちゃん、ここはすべて俺が運転する。俺にとってこれが最後のサハラになると思うから。」

と横田隊長は、静かに言った。スタッフ全員がゆっくりとうなずく。言葉にならない熱いものが、男達の胸に宿る。男60歳、30年以上に渡るアフリカでの経験を賭けて、世界初の偉業に挑む。そしてヌアクショットまでの航路で、スタッフは奇跡を見た。
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